人気アニメ「クレヨンしんちゃん」が、シリーズ初の3DCGアニメーション作品として白組という映像制作プロダクションによって制作され、大根仁監督が初めてアニメーション作品の監督を務めた『しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜』は、2023年8月4日公開の日本のCGアニメーション映画で、クレヨンしんちゃん劇場映画第31作目。
本作は、劇場版シリーズ史上初めての「全編3DCGアニメーション」を採用しており、『シン・ゴジラ』や『STAND BY ME ドラえもん』などを手がけ、CGのプロフェッショナル集団として有名な「白組」がアニメーション制作に参加しています。
松坂桃李が演じる非理谷充は、世間に対して鬱屈した感情を抱き、黒い光を受けて暗黒のエスパーとなる。また、お笑いコンビ「空気階段」の水田かたまり&鈴木もぐら、そして「鬼滅の刃」の禰豆子役で知られる人気声優の鬼頭明里がゲスト出演しています。
もくじ
映画『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』のあらすじ
・・・・以前、ノストラダムスの近くに住んでいたヌスットラダマスは、20と23が並ぶ年に「2つの光が天から降り、世界を混乱させる」という予言をした。そして、2023年の夏、白と黒の2つの光が地球に降り注ぎ、しんのすけに白い光が当たり、彼はエスパーとして目覚めた。同様に、黒い光を浴びた男・非理谷充もエスパーとなった。バイトは上手くいかず、推しのアイドルは結婚したばかりで、暴行犯に間違われて警察に追われていた非理谷は、超能力を手に入れたことで世界征服を企んでいる。しんのすけと非理谷の超能力バトルが始まる・・・・・
ある日、地球に二つの光が迫ってきました。
男女二人は、その存在を確認し、ヌスットラダマスの予言書に書かれた通りのことが起こっていると動揺していました。
一方、野原一家はいつも通りの日常を送っていた・・・朝、母・みさえはいつものようにしんのすけを追いかけ回していました。
この家族は、しんのすけの通うふたば幼稚園の運動会が翌日に控えていました。
夜になると、新橋でティッシュ配りをする青年・非理谷充(声:松坂桃李)は、アイドルの追っかけにしか生きる喜びを見出せず、さらに推しの結婚報道を目にして途方に暮れていました。
充は、品のないサラリーマンに絡まれて地面に倒れてしまいます。
そこで、野原ひろしに助けられるが、充は、ひろしに見下されたような気がして、彼の手を振り払ってしまいます。
その後、充の不運は続き、警察が追跡中の強盗犯と充の服装が一致していることが判明します。
充は、潔白であるにもかかわらず、警官から疑われて街中を逃げ回ることになる・・・しかし、フェンスに追い詰められたところで、謎の黒い光が充に直撃します。
黒い光の影響で、充は謎の超能力を手に入れます。
そして、彼は、追跡してきた警官を倒し、復讐の旅を始めます。
しかし、充だけが超能力を持っていたわけではありません。
偶然、家にいたしんのすけも白い光に直撃され、お尻に力を集中させることでサイコキネシスを使えるようになりました。
翌日のふたば幼稚園の運動会で、しんのすけは、サイコキネシスを駆使して、大玉転がしや綱引き、玉入れなどで活躍し、ひまわり組を勝利に導きました。
野原一家は、大喜びしましたが、彼らだけではなく、誰かが彼らを見ていました。
運動会後、野原一家が家で手巻き寿司を楽しんでいた時、二人の人物が現れました。
彼らは、「国際エスパー調整委員会」と名乗り、二つの光を調査していた。深谷ネギコと池袋教授は、しんのすけの超能力を使って世界を救うように頼みます。
実は、謎の黒い光と白い光は、予言書に書かれていた「この世の終わりの前兆」だというのです。
黒い光を浴びた人間は負の感情が増大し、超能力を使えるようになるが、白い光を浴びたしんのすけ以外に止めることができません。
国際エスパー調整委員会は、サイコキネシス、テレパシー、瞬間移動、透視などの超能力を駆使して世界を救うように野原一家に頼んだが、彼らはあまり乗り気ではなかったのです。
しかし、負の感情が増大した充が街で暴れ出し、ふたば幼稚園で立てこもり事件を起こしました。
野原一家と国際エスパー調査委員会の二人は、テレビでこの事件を目撃し、現場には風間くん、ねねちゃん、マサオくん、ボーちゃんがいました・・・。
こんな野原ひろしは見たくなかった 「しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE」のあまりに間違った社会的弱者への「がんばれ!」
【動画】「しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE」予告編
先に言っておくと、本作には優れたポイントがたくさんある。タイトル通り超能力のバトルのアイデアは面白いし、テンポ良くギャグが展開するので小さなお子さんでも飽きないだろうし、思わずウルっときた場面もある。松坂桃李および空気階段の鈴木もぐらと水川かたまりの声の演技も見事だ。
“しん次元”という触れ込み通りの3DCGのアプローチに賛否はあるが、個人的にはとても良かったと思う。しんのすけを筆頭に3次元化が難しく思える造形のキャラそれぞれに違和感はなく、表情も含めてとても愛らしいし、立体的なアクションにも迫力がある。
そして、映画「モテキ」や「バクマン。」などでみられた、大根仁監督作のトレードマークともいえる、凝りに凝ったエンドロール(ディレクションは上田大樹)は掛け値なし素晴らしい。
そんなふうに全体的にはエンターテインメントとして大いに楽しめたのだが、結末部分があまりにまずかった。メッセージが直接的で説教くさいだけでなく、本編の物語との明らかな齟齬がある。はっきり無責任かつ不誠実で、全てが台無しと思える領域まで到達していたのだ。結末を含むネタバレ全開となるが、その理由を記していこう。
※※※以下、「しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE」の結末を含むネタバレに触れています。※※※
●“社会的弱者”に「がんばれ!」と言ってしまう
本作の敵役となる非理谷充(ひりやみつる)は、徹底的に“社会的弱者”として描かれる。ティッシュ配りのバイト中にサラリーマンたちにバカにされ、推しのアイドルは結婚して裏切られたと思い込み、さらには暴行犯に間違われて警察に追われる身となり、そして超能力を手にして悪の道へと走ってしまう。
問題となるのは、ひろしの最後の激励の言葉だ。
「誰かを幸せにすれば、自分も幸せになれるんだ。がんばれ!」
言葉そのものは真っ当かもしれないが、非理谷は幼少期にネグレクトにあい、両親は離婚して、学校ではいじめられ、今は30歳になり非正規のバイトで食いつないでいる。そんな彼には、「がんばれ!」という精神論的な励ましではなく、公的な支援が必要だろう。
劇中で非理谷はテレビで名前を全国で放送されて指名手配され、幼稚園の立てこもり事件を起こしてしまう。これから刑務所に入るというときに、今更「がんばれ!」という言葉をぶつけるのは違和感しかなかった(しかも、当の非理谷は記憶を無くしている)。
そもそも「クレヨンしんちゃん」という作品において、過剰に恐怖を覚える幼稚園の立てこもり事件を起こしたこと自体がやりすぎに思えた。劇中で非理谷にそれをさせることなく、最終的に就職先を紹介するなどして、真っとうな解決法を示すことだってできたはずだ。
さらには、その「がんばれ!」と言うのが、妻と子ども2人、庭付きの一戸建てを手にした、正社員で係長の野原ひろしなのだ。1990年代ではまだ平凡なサラリーマンとして見られたかもしれないひろしは、現代社会では理想的な家族を超えて、“勝ち組”そのものにも見えるため、さらに欺瞞めいたものを感じてしまう。
そもそも、非理谷は決してがんばっていなかったわけではない。少なくとも、推しのアイドルを応援するために日銭を稼ごうと努力をしていたのではないか。幼少期から不幸の連鎖が起きて、“社会的弱者”からいわゆる“無敵の人”になってしまった彼を生々しく(しかもアイドルオタクであることも含めややステレオタイプ的に)描き、「日本の未来は暗い」と社会全体の問題にも言及しておきながら、結局は「がんばれ!」という個人の努力に帰結させ、それをまるで“良きこと”のように描く構図は、はっきり間違っている。
なお、原作漫画の26巻に収録されている「しんのすけ・ひまわりのエスパー兄妹」が本作のストーリーの元となっているのだが、こちらは映画とは真逆の「彼には罪がない」ことを明言する終わり方になっていた。多少ご都合主義的ではあるものの、こちらの方がはるかに誠実だったと思う。
さらに、非理谷は30歳、ひろしは35歳で年齢的にそれほど差がないにもかかわらず、ひろしが「君はまだ若い!」と年齢を理由に「がんばれる理由」までを口にするのも大いに違和感があった。キャラクターの設定や“らしさ”も考えず、ただ作り手が自分の考えをキャラクターに代弁させてしまっているからこそ、こんなことになっているのだろう。
しんのすけが幼少期の非理谷と出会い、“仲間”と呼び奮闘する流れは、「クレヨンしんちゃん」という作品に親しんできたファンへの、メタフィクション的な応援ともいえるだろう。この構図は、近年の児童向け作品でいえば「映画 HUGっと!プリキュア・ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」にも似ているし、うまくやれば本当に感動的なものに仕上がったと思う。
ただ、しんのすけが非理谷を仲間と呼ぶことが唐突に感じられ、もう少しだけそう思える過程を入れて欲しかった……というのも不満点なのだが、それよりも問題なのは、いじめられた非理谷としんのすけが反撃する様を、過去のイメージ的な映像ではあるとはいえ、ひろしやみさえなどの大人たちが「がんばれ!」と応援することだ。
それでは、まるで子どものケンカにおける暴力を、大人が肯定しているようにさえ見えてしまうのではないか。前述した通りラストのひろしの「がんばれ!」が大問題なのだが、その過程でも、やってはいけないことをしていたので、本気で失望した。
他の場面でも、大人の言動に違和感を持った。例えば、幼稚園の立てこもり事件が起きたとき、よしなが先生は風間くんたちに、非理谷を攻撃させることに同意している。そこは、そんな危険なことを子どもにさせられないと、拒絶をするところだろう。ここも、よしなが先生にズボンを履いた状態での“ケツだけ星人歩き”の(しかも過去の大根監督作品でも散見できる女性へのセクハラめいた)ギャグをさせることしか考えておらず、シーンごとの整合性を突き詰めていない雑さが目立った。
●あまりにもったいない、許しがたい作品
総じて、筆者は本作に「あまりにもったいない」印象を持った。国民的なアニメ映画で、現実にある社会問題を扱うこと自体は肯定したいし、最初に掲げた通り優れたポイントもたくさんあるので、うまくやれば誰もが認める傑作になっていたのかもしれないのだ。
だが、やはり提示した問題に対しての最後のひろしの言葉がすべてを台無しにしているし、それ以外でもあまりに配慮に欠けた場面が見受けられた。せめて、ひろしの一方的な言葉ではなく、非理谷自身の行動で「誰かを幸せにすれば、自分も幸せになれる」ことを証明するシーンがあれば、まだ良かったはずなのだ。
本作同様に、現実にある社会問題の扱いに居心地の悪さを覚えた作品に、2023年に公開された「映画ドラえもん のび太と空の理想郷」がある。それでも、こちらはまだメッセージが直接的すぎて説教くさいという印象ですんでいたのだが、この「しん次元」は非理谷のように社会でふさぎ込んでいる境遇の人にとって、絶望的なメッセージを発信しているともいえる。
また、子どもが超能力を持ち、悲劇的な出来事に対抗する戦いが描かれる様は、くしくも現在公開中の北欧スリラー映画「イノセンツ」と一致している。「しん次元」と合わせて見れば、現実にある社会問題に対して、対照的なアプローチをしていることがわかるだろう。
「クレヨンしんちゃん」史上、もっとも許しがたい作品が生まれてしまったことが、あらためて悲しい。もちろん、本作に勇気づけられた、楽しく見られたという人の気持ちは否定しない。だが、大根仁監督を筆頭とする作り手には、しっかりと、現実にいる子どもだけでなく、大人の気持ちを汲んだ上で、誠実な映画を作ってほしいと願うばかりだ。
最後にこれだけは言っておこう。キャッチコピーには「こんなしんちゃん、見たことない。」とあるが、筆者個人ははっきりこう思った。「こんなしんちゃん、見たくなかった。」と。いまはただ、「君はいたほうがいいよ」と、映画本編よりもはるかに正しく優しいメッセージを掲げた、サンボマスターの主題歌「Future is Yours」を聴こう。
(ヒナタカ)
『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE』に関連する動画
【予告】『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜』8月4日(金)公開 - YouTube
(出典 Youtube)
<このニュースへのネットの反応>
THE繊細お気持ちヤクザ。公的支援ってなんだ?謎の組織から出てくる謎の支援と無限の金を夢想してんのか。共産主義者なのか‥‥
子供が活躍する子供向け作品を見るのに徹底的に向いてない人間が、「俺なら大人向けにこう作る」と他人のふんどしでご高説垂れてるだけだな、と言う感想しかない。こんな批評視るんじゃなかった。
ただのおっさん一人にわけのわからん責任を背負わせようとするなよ。率直に応援する心に他人が趣味の悪いデコレーションして汚す様こそ見たくねえよ。
でも実際ひろしの言う通りひたすらがんばるしかないやろ
感想が独自的過ぎますね。世間ではくれよんしんちゃんの映画が好きなのは大多数のはずなので、このような一方的な批判は一般のニュースで採用すべきではないです。別枠に載せるべきでした。
バトルもののアニメを見て「彼は反撃すべきでなく、警察機関に行くべきでした。相手の暴力による傷害は確定しているのに、こちらも暴力で対抗してしまうとその正当性もなくなってしまう」とかって批評すんのかな? この人
「がんばれ」は確かに難しいよね。もらって嬉しい時もあればより絶望する時もある。まぁ何も手を差し伸べる気がないからこそ、お気軽に口に出せる言葉でもあるんだけどね。
声が変わったから内容も変わったんやろ
この記事描いてる人、厨二病ですか?
観たけど面白かったよ ってコメントが無いからこの批評はさておいて実際さほど面白くはないんだろう
ひろしは「しんのすけがいない世界に未練なんてあるか」と言い切るくらいに父親だから「誰かを幸せにすれば、自分も幸せになれるんだ。がんばれ!」って言葉が出るんだろうな。「君はまだ若い!」も30歳は自身が父親ではなく男だったころの年齢
まぁよくはわからんが、「がんばれ」を言われた彼の場合、罪を償う大仕事が待ってるんだから頑張る(償う)しかないんじゃないかな。まぁ個人的には「頑張れ」を言われて落ちて行ってしまう人よりも、立ち上がろうと努力する人の方がみたいけどねぇ。
元々PTAが有害図書として騒いでいたクレヨンしんちゃんに何を期待してんだこいつ
熱の入った誠実な良い文章じゃん。少なくとも俺は映画も観てみようかなって思ったよ。
弱者を敵にしてしまったからこういう結末になったんだろうな。弱者が強者をボコボコにするならエンタメとして成立するけど、弱者をボコボコにするんじゃ後味が悪いから無責任にがんばれって言わせるしか無かったんだろうなって思うわ
元の話のエスパー兄妹は会社を首になっただけだから頑張れでも違和感はなかったな
ねとらぼ=ソフトバンクとしてはなんらかの理由でこの映画を潰したかったのでこじつけでネガキャンしている感じか
エンターテイメント映画って別に客に説教垂れるためのものじゃなくて、楽しませるためのものなんですよね。込められたテーマなんて別に何でも良くて、面白ければ正義なんですよ。テーマは物語を面白くするための要素でしか無いんです。テーマがあなたの思想と相容れないことが気に食わないなら、ご自身が思うテーマで映画作れば良いんじゃないですかね。面白かったらきっと支持されるよ
クレヨンしんちゃんまだやってたんだ(遠い目 ・・・作者が登山旅行で亡くなったという悲報を聞いたのはだいぶ昔のこと。もし作者が生きてたならどう思っただろうなこの記事
ここまでのコメントほぼ映画観てないだろw 別に観てなくても批評を批判してもいいけど、観てないで批評を批判という構図が面白すぎるわ
努力しても叶わない事に疑問を抱くのは理解できる でもただの頑張れという発言が頑張ってないに結び付くのは本当に謎勉強しろという叱りは一切勉強しない人間にだけしか使われないなんて事は無い様に頑張れと言われる事が頑張ってない扱いなんて罵倒の意を含まない本当の心の病の心配されるぞ
・・・なにこいつ超めんどくせー
>さかさか 新次郎構文?
「がんばれ」って「ごきげんよう」みたいな言葉だからな。
よくわからんけど昼飯の流儀読めばいいってこと?
会社の人も同様に、敵に感情移入して見てたら救いが無さ過ぎてもやった的な事言ってたな。野原一家もいまや勝ち組なんだよな・・
>ゲスト 問題を見ずに答えだけオカシイ間違ってるって言うのは滑稽だよって意味。
日々病みつるかと思ったら非リア充やった。
ひろしみたいなまっとうな人が働いてるから底辺はインフラや保険を享受し生きていけるのであって、「がんばれ」くらいで発狂するのは被害者意識もはなはだしい。がんばるのは生き物として当たり前。なんちゃってアフリカ人みたいな人が増えたよね。
中の人が森川さんだからキャラクターも変わって当然。超ポジティブで努力家の経営者で、声優界でももっとも成功してる人だし。あの声で応援されたい人なんていくらでもいる。
敵が30代無職でチート能力手に入れて社会に復讐する役、かたや野原ひろしは同年代で二児の父でマイホームとマイカー持ちにして嫁は専業主婦(自称貧乏サラリーマン設定)、この格差で野原一家がラストに30代無職の送ってきた人生に同情して声援送る話だからなぁ・・・
そう思うなら自分で何か作品を生み出そうぜ万人受けする作品なんてない どこかで誰かがケチをつける ってことを 人の痛みを知るべき って思いました(小学生並みの感想)
マインドの問題が極大だからな(´・ω・`) がんばれしかないぞ
敵が10~20代ならひろしの声援も人生の成功者としての助言になりえるんだけど、ひろしと同年代だからマジで救いが無いんよ、最期に残った自尊心までへし折って「頑張れ!」で放り投げてるから、せめて敵の年齢や設定、ひろしの立ち位置は何とか出来なかったのかと
アルバイトで日銭を稼ぐといってる割には、アイドル(物販Tシャツのキャラはニュースで強盗犯の特徴として挙げられているということは地下アイドルではなくそれなりに有名)に結構な課金、おそらく親とは縁を切って一人で生活って点で見るとそれなりに稼げてる気はするけど。
頑張って改善して来た方々を侮辱するな。頑張らせて利用するのが悪。当人が努力するのは善。極論にして叱咤激励も悪にするな。
「頑張れ」というワードを単純に「努力しろ」としか理解出来ないのか?場面や状況によって「私はあなたを応援していますよ」「諦めないで」などのプラスのニュアンスが加わることも多々あるだろうに。こういう「ワードアレルギー」のバカのせいで言葉狩りが始まるんだよ。
というか、くれしんいい加減やめたら?これこそいつまで他人の、というか死人のふんどしで勝負してんだよって。国民的アニメっていうブランド作ってそれにしがみついてるっていうのもどうかと。そんなだからテレビ局はいつまでも時代に乗り遅れ続けるんだよ。
がんばれ 「誰かを幸せに」 その誰かに決して出会えないことはない程 「君はまだ若い」 だと思うんだ。まぁ元の話のエスパー兄妹ほど楽観的になれなくてキツイと感じるのは分からんでもない
見てないし見る気も無いので何とも言えない。
単純に脚本のできが悪いクレしんなんだからこんなもんでいいだろっていう作り手の怠慢
「がんばれ」以上に何を言えと? それともこのライターは、行きずりの見知らぬ相手だろうと、人生設計のプランニングを語りだすのか? 端的に言ってソレは、実に気持ちの悪い行いじゃないか?
その映画がどういうつもりかは知らんが、基本的に「頑張れ」にそんな重い意味はないんだよ。極端に言えば、頑張れは頑張れって意味じゃない。具体性のない、適当・おざなりな声援に過ぎん
自分には計り知れない他人の不幸を目の当たりにした時には、がんばれという言葉しか捻り出せなくなるんだよな。突き放してるんじゃなくて自分の力量不足で励ましきれないんだわ
これ制作者のインタビュー読んだ感じだとさ、そんな公的支援でどうこうって場当たり的散発的な話でどうにかってレベルを既に超えて、本質的な部分で日本の将来は暗いってところらしいからだからもう「がんばれ」って言うしかない、抜本的解決策などもうないっていう絶望の示唆だよねっていうこと
結局の所他人の人生に誰も責任なんて負えないんだよ。だから無責任に「がんばれ」と言うことしかできない
生きづらそう。
エア論者しかいない映画って面白いんか?
「君たちはどう生きるか」見に行った時に予告流れたけどその時点で十分に不快だったからな。よく金払ってまで見ようと思ったな
ひろし以前に幾ら話が面白くても社会的弱者の描写なんて小さい子供に見せたくなくない?誰得の設定なのだよ
精神論的な周囲からの支援、理解は「ネグレクト」「両親の離婚」「いじめ」と反対なので彼に必要なものに見えますが? ネグレクトと両親の離婚といじめがあっても公的な物質支援があればいいとおっしゃいますから、そうですか
幼児向けアニメに何言ってんだ? コイツ。……以外の感想が出てこないゾ。
いや今回の敵は未成年の内に両親ダブル不倫ダブル再婚で孤立だから本当に公的支援が必要な立場だったし、非正規にしかなれずとも真面目に生きてきたのに、司法のミスによる誤指名手配で人生詰んで、洗脳されて犯罪に走って本人の記憶もないままひろしに賠償請求されてる状況で請求側から頑張れ連呼だよ?精神的支援ですらない。観てたら普通に違和感凄いから。
3DCG映画の監督は何故かアニメ畑じゃなくて実写畑の監督が起用されることが多いけど、ホントやめた方がいいと思う。それはともかく、この批評を叩いてる人こそ実際に映画見たら映画の方叩くと思うよ。というかSNSや感想サイトで家族連れからも不満噴出してるからこういう記事が出てるんだよ…ちゃんと世間に触れよう。
とりあえずはまた意識高い系スタッフが作品に政治メッセージを駄々洩れさせて、案の定酷評されてるってことでよろし?
今のクレしん映画のスタッフって頭のおかしい奴しかいないの。これを見た子供が面白かったって思ってくれるとマジで思ってるのか?
見る気も失せるだろ昔のクレしんの映画は良かったと言われても仕方ない
トレンドに便乗したストーリーなのに解決策はトレンドに反してておかしいという旨の主張はわからなくもないですたぶん敵が女性だったらだいぶ見方が変わったんじゃないかなま、いいんですが
クレしん映画としては珍しく「TV版の現実」に沿うキャラクターだから余計にメンドクサイ感想になるんだろうな。 映画版は良くも悪くもTV版の現実から乖離した世界が魅力的だったのに。 ドラえもんでマトモすぎて映画に出れない出木杉君が映画に出たみたいな世界だ。
こんな記事は見たくなかった
映画見てないけど社会通念的にも30歳は「がんばれ」ば絶妙に再起できる歳だと思うよ。
結局のところ、映画にするために話を盛りまくったのにオチだけ原作のまま変えてないせいで噛み合わなくなっちゃってるんだよな。原作だと失職しただけだから軽い励ましで十分だった。
観てもいないのに観た人の意見批判したり、挙げ句にほならね理論まで持ち出すとかどうかと思うんですよね……
アニメで社会問題を扱ってもイイが、結論はどうしても批判される。社会問題へのアプローチには様々な方法や道筋があり、結論も細分化される。その細分化された結論の集合体こそ「政党」というモノだから。オレも「がんばれ」はナイと思うが、まぁそれ以上の回答を用意できなかった、と言われれば、そういうモンかもしれないとも思う。それ以上には何も言えないな。
この頑張れはまともじゃね?真面目にやっていればいつか報われるかもしれない、けど諦めたら報われるものも報われない。だから諦めるなって
記事批判側は映画見たと思われるコメントがほとんどなくて脊髄反射で記事に反対しているように見える実際見た自分からすると大いに賛同できる記事内容だし気持ち悪いと感じた部分を言語化してもらってむしろすっきりした気分みんな過去の名作のイメージが強いのかもしれないがまず今回の映画を見てから語ってほしい
クレしん映画として出来が悪かった。映画なのにスケールが小さい。テーマも邦画の実写映画にありそうなもので、クレしんの映画にそれを落とし込めてなかった。
何もかもが面白くないわけってじゃないけどモヤッとする脚本だったと思う。とりあえず誤認指名手配とかの部分くらいは解決して欲しかったかな
こんなひろしは嫌だ → ひろしじゃなくてぴろしだった
クレしんは昔見に行った時、薄っぺらい感動仕立てだなと思ったが話聞く限りさほど変わって無いのな。どうせそれまでの作劇手法では限界が来たってだけだろう。
筆者が勝ち組に見てるひろしこそ、社会的弱者でありながら自分を見失わずにがんばり続けた立派な凡人なんだが。 がんばったから報われるとは限らないが、それでもがんばるしかないだろう。 批判がそれこそヤクザや無敵マンの難癖レベル
両親の仲がよく。親子関係も良好。大学まで行かせてもらって都会で就職。苦労を重ねながらみさえとあって恋人。結婚。がんばったからいまがあるといえばいいけど。序盤であからさまに差がひどいね。
コメント見ていると「なんだかななセリフ」だったことは分かるけど、記事を読む限りだと『鬱病の人に「がんばれ」は禁句です。社会的弱者には赤の他人だろうとただの通りすがりだろうと、細心の注意を払い、丁重に扱ってあげないといけません』としか読めなくて「知るか、んなこと」という言葉しか出てこない
>tomo コメントで解るなら充分記事だけで「なんだかなぁ」になると思うけどね、そこまでして記事貶したいのかと思っちゃうよ。「記事」に対して偏向、偏見があるから解ろうとしない、観てもないのに批評を批難するという暴挙を正当化してんだなぁって感じ。
そも作者逝去済みの時点でその前と後は別モンやろ。 ドラちゃんかてそうやって少しずつ歪んでって今のテレ朝体臭まみれの映画になっとんやで。
ちょっとした不幸であれば頑張れって言葉に悪意なんて無くて単なる励ましだって受け取る余裕もあるんだけど、すでに追い詰められている人間に対しての「頑張れ」ってのはパンク寸前のタイヤにさらに空気を入れるような行為なんだよな、言ってる事は間違っちゃいないが説得力はない
人間は頑張らない理由を頑張って見つけて頑張らないからな
今のしんちゃんってぞうさんとかやるん?下ネタ全開だった頃が一番面白かったな
クレしんなんかまだ見てるの?そういうの卒業したほうが良いよ 幼稚だからじゃなくてもう初期の頃とは違うんだからって意味で
誰かを応援することをマイナスであるかのようにほざく事が現代風だとでも言いたいのかこのバカ記者は
悪を突き返すともう一つの悪になるから言いたくないけど、まだ頑張れる子供の足まで引っ張ってんの正直自分でどう思う?
いやまぁ今回のひろしはちょっと…ぜひ見てから判断してみてほしい
敵を45歳辺りにしたらもっと突き抜けてたかもしれんのに中途半端だなー(鬼畜)
ひろしのがんばれ自体が悪いというより、問題解決をその無責任な言葉で終わらせたのがダメだったってことでしょ ちゃんと「幸せになれる」ところまで、或いはその将来が示唆されないと犯人も被害者なのにまともなフォローが無い
社会派ヒューマンドラマなら後味悪くても救われなくてもいいけど、キッズ映画ならストレスとカタルシスのバランスは大事だよね
マンガに対して本気で目くじら立てなくても。
悪役側の生い立ちや誤認による一連のことを思うとひろしの言葉はあまりにも残酷に聞こえたな。がんばれと背中を押したのだろうけど崖っぷちだったんじゃないかな。思うこととしてはユアストーリーに近いものを感じてしまうものだった
3Dなら、クレヨンウォーズかぶりぶりざえもんのやつをやればよかったのに、
今やサザエさんはほとんど時代劇だし、クレしんの設定もリアルタイムの描写としてはもうとっくに通用しない。現代の社会問題をクレしんという作品の骨格に当てはめること自体が誤りだったと思う。脚本以前の、企画段階での失敗かと。
普通に世界征服を企むムキムキのオカマとかじゃ駄目だったの?(老害並感)